MESSAGE

代表取締役社長からのメッセージ

「村山商店」という社名のバックグランド

村山商店がどういう会社なのか、まず簡単にご説明させていただきます。

村山商店は、明治維新に港湾運送会社として創設されました。横浜税関ができたのが明治5年で、その翌年に横浜で旗揚げをした形です。

初代の村山善吉さんが創業した当時は個人経営だったのですが、後を継いだ二代目の捨吉さんが、大正7年に株式会社とし、当時流行していた「商店」という名称を先取りして「村山商店」と呼称するようになりました。今ではありふれた名前ですが、当時の横浜では、モダンで瀟洒な響きがあったのだと思います。

その後、時代も変わり、社名変更の意見が出たこともあるのですが、約150年の重みを大切にしよう、歴史を背負いながら会社をやっていこう、という結論に至り、今日までやってまいりました。

川崎に本拠地を移したのは、開国から二度の大戦、戦後復興による高度成長等様々な紆余曲折 を経た昭和20年のことです。以来、京浜港、川崎港の国際化を陰ながら支えてまいりました。今後も、刻一刻と変化する時代のニーズに合わせて、京浜港、川崎港の発展を支えていくことが、弊社の役割だと考えております。

GREETINGS

社風について

村山商店の歴史は、数多くの親密なお得意様と、腹を割って話し合える健全な労使関係によって紡がれてきました。これまで、危機的状況がなかったわけでは決してありません。

しかしその時々で、社内外に救いの神とも言える人材や取引先が現れ、現在に至る盤石な基盤を築くことができました。社史を紐解けば、各代の経営者、従業員が、経営危機に対していかに知恵を絞り、会社の将来のために力を尽くしてきたのかを見て取ることができます。

村山商店の慣習、というわけではないのですが、組織としての強みは、風通しのよさにあると考えています。上も下もなく、やりたいことは何でも言ってもらう。最終的なゴーサインは上層部が出しますが、情報を隠して何かを進めるということはありません。

道徳的な規律を持って商売をする、という大前提を踏まえていれば、誰でも問題提起して新しい挑戦をすることができます。村山商店が数々の危機を乗り越えられたのも、腹を割って何でも言い合える社風があったことが大きいように思います。

組織について

風通しの良さともつながりますが、村山商店はいい意味で組織が縦に分散しています。

これがピラミッド構造だと、組織が成長するにつれて縦が長くなり、現場の声が上層部に届かなくなってしまいます。

近年は、業種の幅を広げ、多様な人材を活用するフェーズに来ています。さまざまな形で募集をかけ、社内にも人が増えていますが、上と下がフランクにコミュニケーションを取れる雰囲気は、少しも損なわれていません。

意識的なものか、無意識的なものかはわかりませんが、社員全員が、同僚や上司、関係取引先とのコミュニケーションを楽しもうとしているように感じます。

現在の村山商店

創業から長らくは、まず元請けさんがいて、そこから仕事を貰って作業をするという形でやってまいりました。近年は元請けも手掛けるようになり、自分たちで仕事を取ってきて、どういう形でさばくか、どういう形で運営するか、という企画から携わるケースも増えてきています。

企画からスタートするには相応の知識と経験が要りますが、社内には優秀な人材が育っていて、教育体制も整ってきました。これまでみんなで丁寧に撒いてきた種が、少しずつ芽吹き始めているというような状況です。

インタビュー動画

代表取締役社長

各務 毅TAKESI KAGAMI

入社を検討中の方にメッセージ

陸送や産業廃棄物関連の子会社など、グループ企業も充実しつつあります。いろいろな業種が増えてきて、従業員たちのやりがいも多様化しているのではないかと思います。

私の仕事は、個人個人が一所懸命に、自分の責任で働ける場を作ることだと考えています。もっと業種を増やし、もっとポストを増やして、大切な人財が存分にやりたいことをできる環境を整えるつもりです。社員一人ひとりが自分たちのために懸命に働いてくれれば、それは必ず会社を良くするでしょう。長い目で見れば、港の発展や社会貢献にも繋がってくることだと考えています。

自分のやる気や能力を持て余している方、やりたいことが見つからずに悩んでいる方は、ぜひ弊社にご応募ください。

やりがいのある仕事をたくさん用意して、お待ちしております。